豊泉会朝礼挨拶(2019年度)

2019年度

2020年 1月  新年を迎えて:今年の合言葉は「一歩でも前へ:Go Forward」

皆さんおはようございます。そして明けましておめでとうございます。

有難くないのですが、いよいよインフルエンザの大流行期に入りました。感染を完全にシャットアウトすることは困難ですから、患者さん、入居者さんのアウトブレークをおこさないようくれぐれも注意してください。皆さんは予防接種をうっているので典型的な症状、例えば高熱が出ないことも多いのです。普通の風邪と違う、倦怠感が強かったり、関節痛を伴っているときなどは微熱程度でも疑って検査をしましょう。少しでも体調の悪い人はアフターファイブの付き合いもやめるようにしましょう。こうした付き合いから職員間での感染拡大を経験したことがあります。従って、全体朝礼はインフルエンザの流行期が終了するまで中止とします。このホームページを参照してください。 さて、昨年の流行語大賞はやはりラグビー日本代表の「ワンチーム」でした。メディアでラグビーワールドカップの話題が繰り返されましたから、少し食傷気味の方も多いかもしれません。

私自身は以前から比較的ラグビーには関心があって大学ラグビーなど、よくテレビ観戦をしていました。父親が早稲田大学の出身で、大学ラグビーでは早稲田大学は名門だったからです。ラグビーの基本的で面白いルールは、前へ向けてパスをすることが反則というルールです。これをスローフォワードといいます。スローとはゆっくりのスロー(slow)ではなくて投げるという意味のスロー(throw)です。フォワード(forward)は前方へという意味です。前へパスをすると反則になるというルールなわけです。そうすると、例えばパスの投げ手が2m後ろの味方にパスを投げたとします。当然その味方の前には敵の守り手がいます。もしパスの受け手が相手を倒しながら少なくとも2m以上前へ進まなければ、味方全体では段々後退していくことになります。現実に弱いチームはパスをすればするほど後退してしまい、最後にはキックでボールを前へ蹴るしかなくなってしまう場面をよく目にします。前へ蹴るのは反則ではないのですが、結局相手にボールを渡してしまう結果になるわけです。ラグビーでは選手のポジションによって役割がかなり異なるのですが、この個人個人が一歩でも前へ進むことの重要性はポジションに関係ありません。これが「one team:ワンチーム」に込められた思い、意味です。

すこし強引かもしれませんが、組織が前進していくためにも、すべての職員が前へすすむ努力を続けることが重要だと思います。去年この朝礼で繰り返してきたように、私たちの病院、介護・福祉施設はご高齢の方の人生の最後の時期を、少しでも豊かになるように全力を傾けて取り組んでいくことを最も基本的な理念とします。この理念、組織が存在している意味をよく考えてください。そして、それぞれの立場でこの理念を実現するために少しでも前進、前へ進むよう取り組んでください。そのことが組織全体を前進させる大きな力になるのです。今月の中旬には豊泉会のホームページをリニューアルします。これに伴って、私が昨年お話ししてきた全体朝礼でのあいさつを、ホームページ上にまとめています。もういちど振り返って参考にしてください。

最後に、今年の我々の合言葉はGo forward「一歩でも前へ」、としたいと思います。よろしくお願いします。以上です。

12月  一年を振り返って

皆さんおはようございます。今⽇は12⽉2⽇、今年最後の朝礼ということになります。今年は豊泉会にとっても私にとっても思いもかけない激変の⼀年だったと思います。

まず、⼆⽉に私が理事⻑に赴任した時、皆さんから強い要望があったのは、永年⼿つかずになっていた施設・機器の改修でした。最初に⼿を付けないといけないと感じたのは、夏を迎える前に弥⽣園の空調の改修⼯事を終わらせたいというものでした。毎年のように⾼齢者の施設で空調機の不調による死亡の報告があっていたからです。病院のナースコールの整備にも並⾏して取り組みました。
患者さんの安全⾯から、またスタッフの負担軽減からも急ぐ必要があると判断しました。また厨房の改修⼯事と温冷配膳⾞の導⼊も急がれました。厨房は排⽔がうまく⾏われず衛⽣⾯でも⼼配な状況でした。少し時間がかかりましたが先週にはすべての⼯事が終了しました。栄養⼠さんの部屋も少し広く確保することが出来ました。クックチルと温冷配膳⾞の導⼊は患者さんへのサービス向上とともに調理の⽅の負担軽減にもつながることと思います。ただし、配膳はこれまでと違って中央エレベーターを使⽤するようになりましたから、すこし混乱があるかもしれません。給⾷の⽅だけでなく全職員の協⼒をお願いします。そしてこれも看護部の懸案であった浴室の改修整備も本⽇より開始し、今⽉中には終了する予定です。⼊浴に介助が必要なご⾼齢の患者さん利⽤者さんが多い豊泉会にとって、いくらかでも使いやすい浴室が整備できるのではないかと考えています。これまで以上に患者さん・利⽤者さんの安全に注意して、⼊浴介助をよろしくお願いします。

次に、施設管理の⾯ではまず弥⽣の⾥の⼊所者確保に努⼒しました。⼊所者は要介護3以上で認知⾯でも多くの問題を抱えています。スタッフは利⽤者さんのお世話に、本当に努⼒してくれていました。しかし、施設の管理⾯ではやはり、⼊所者さんを少なくとも定員近く確保しなければ経営的には成り⽴ちません。以前に⽐べて忙しくなり職員は⼤変だと思いますが、ようやく安定的に経営できる状況になってきました。また、法⼈の会議体として⻑く中断していた所属⻑会議を開始しました。少なくとも部⾨の管理者が病院・施設の現状と⽬指す⽅向性を⽉に⼀回は確認しながら組織は進んでいくべきだと考えたからです。このほか5S回診を開始し、職員⾷堂(プラザ)の整備も進めました。来年2 ⽉からの開始に向けて電⼦カルテの導⼊準備も進んでいます。こうした取り組みすべては、皆さんの働く環境を少しでも整備・改善していきたいという思いから実⾏させていただきました。

さて、先週私は、沖縄県の宮古島へ⼀泊⼆⽇で出かけてきました。豊泉会の研究会でもお話しした、透析患者さんの運動療法について講演を依頼されたからです。⼼臓リハビリテーションをライフワークとして初めて以来、様々なところでお話をさせていただく機会を頂きましたが、宮古島はこれまで講演を依頼された中では最も遠い場所になります。透析患者さんへの運動療法を開始するきっかけの⼀つに、福岡の⽷島にある伊都クリニックの松嶋先⽣との出会いがあります。松嶋先⽣は透析患者さんへの透析中の運動療法を我が国で初めて開始された⽅です。運動療法の⽅法について先⽣が悩まれているときに、私の⼼臓病患者さんへの運動療法の話を聞いていただいて、そこからお付き合いが始まりました。今から10年近く前になります。実は松嶋先⽣が透析中の運動療法を開始された時には周囲から全く理解されず、危険なことをはじめた異端児として⾒られていました。しかし、この⼗年で腎臓リハビリテーション学会も設⽴され、透析患者さんへ積極的な運動療法を⾏うことの重要性が当然のこととして認識されるようになりました。宮古島で講演の依頼があったということは、全国にこの考えが広まったことの反映とも考えられ、私にとって感慨深いものがありました。透析中の運動療法のように、⼈の気付かない新しいことを始めるときは周囲の理解も得にくく困難も多いのです。しかし本当に新しい発⾒は、こうした困難を乗り越えた時に達成されます。若い職員の皆さんは特に、⽬の前にある仕事をただこなすだけではなくて、私たちの組織がめざす医療介護福祉の⽬標に向かって、様々な⼯夫・努⼒を傾けてほしいと思います。あとひと⽉ありますが今年⼀年お疲れさまでした。来年もよろしくお願いします。以上です。

10月  5S活動

皆さんおはようございます。ようやく焼けつくような暑さもやわらぎ、秋らしい気候になってきました。
本⽇は5S活動についてお話ししたいと思います。5S活動は⼯場などで、効率的に⽣産性を上げる⼿段として出発しました。医療の世界では先⽉お話した、安全⽂化の取り組みとしても⼤きな意味を持っていますので、引き続きの取り組みとして、お話ししたいと思います。

5S活動、五つのSは「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」です。それぞれローマ字で表記するとSから始まる⾔葉になっているので5Sということになります。
五つのSはバラバラに考えるのではなくて、今申し上げた順番に考えていきます。最初のSは「整理」です。まず余分なものをなくすことから始めます。それぞれの職場で「たまにしか使わないもの」「いつか使うかもしれないもの」が⼤きなスペースをとっていることはないでしょうか? また、教科書は注意が必要です。医療の世界の進歩は早く10年前常識であったものが現在では⾮常識になることが多くあります。
私の専⾨⼼臓病の治療でいえば、亜硝酸剤、ニトロール、ニトログリセリンは狭⼼症患者さんへの投与はすすめられても、⼼筋梗塞患者さんへの投与は禁忌、投与してはいけない薬剤でした。現在では⼼筋梗塞の初期から投与すべき薬剤になりました。また2000年過ぎまでは⼼不全患者さんへ運動療法を⾏うことは禁忌、ともかく安静にしていることが⼼不全治療の基本でした。しかし今は適切な運動療法が⼼不全患者さんの体⼒を改善し、寿命を延ばすことが明らかとなり、積極的な運動療法が⾏われています。
古い教科書には誤った記述も多いのです。少なくとも10年以上経過した教科書は捨てましょう。余分なものをなくし、必要なものを⽋けることなく置くようにしましょう。

次に「整頓」です。「整頓」とはどこになにがあるかがわかり、すぐ取り出せる状態を作ることです。整頓の基本は三つの「定」です。
置く場所を定める:定位、置くものを定める;定品、置く量を定める:定量です。まず5S活動の出発点として、「整理」「整頓」に取り組んでみてください。

次に「清掃」です。まんべんなく、常に「清掃」を⼼がけることは当たり前ですが「清掃」とはただ掃除をするということではなくて「⾃分たちが使⽤しているものをきちんと管理して常に最⾼の状態に維持していく」という意味もあります。「清潔」とは「整理」「整頓」「清掃」を継続して、汚れのないきれいな状態を維持することです。このためには「職場としてのルール作りや標準化」も必要になります。「清潔」で注意したいのは皆さんのユニフォームです。本来医療や介護の世界ではユニフォームは⽩、⽩⾐が常識でした。しかし、レンタル業者の導⼊、スタッフの役割を明確にするためもあって、ほとんどの施設が今皆さんが着⽤しているように⾊とりどりのユニフォームを利⽤するようになりました。⽩⾐の良いところは汚れがすぐに⽬⽴つ点です。ご⾃⾝のユニフォームが常に清潔に保たれているか注意してください。
「しつけ」は安全⽂化と同様、職場の⾵⼟づくりですから、4つのSを職員が常に意識することが出来るようになる最終の⽬標ということになります。

5S活動は⼀⼈⼀⼈の⼼掛けがもちろん重要ですが、部⾨全体で取り組むこと、職場の管理者が常に⼼掛けていくことが重要になります。5S活動も継続的な取り組みになりますから少し時間をかけて取り組む基盤を作っていきたいと思います。まず現状の把握として5Sの回診を今⽉より開始します。
さて、今⽇お話ししてきたのは物の5Sですが、最終的には業務の5Sも⽬指していきたいと思います。業務の5Sについて、これは働き⽅改⾰やタスクシフティングとも密接に関連してきますが、いつかまたお話ししたいと思います。今⽇は以上です。よろしくお願いします。

9月  安全文化

皆さんおはようございます。 今⽇は「安全⽂化」の重要性についてお話しします。
病院とともに介護・福祉施設でもインシデント報告が⾏われており、今さらと思われるかもしれませんが、若いスタッフの⽅たちにはこのことがどれほど重要なことなのか、実感がわかない⽅も多いのではないかと思い、改めてお話しします。医療の世界では⽇本での安全⽂化の始まりは1999年と⾔われています。1999年から2000年にかけて⽴て続けに⼤きな医療事故が発⽣します。この頃までは医療は善意で⾏われているものだから、患者さんの最善の利益の決定の権利と責任は医師の側にあって、患者はすべて医師に委ねればよい、という考え⽅。つまりパターナリズムで医療は⾏われていました。
ところが、この本「⼈は誰でも間違える」=「to err is human」 というタイトルの本がアメリカから出版されます。この本によれば医療事故によって⼀年間に4万⼈から10万⼈近くの患者さんの命が失われているという衝撃的な報告でした。
私はこの数字はいかにも誇張ではないかと当初は思っていたのですが、まず1999年に横浜市⽴⼤学で患者取り違え⼿術という医療事故が起きます。⼼臓弁膜症の患者さんと肺がんの患者さんを取り違えて⼿術して⼿術後の回復室で初めて間違いに気づいたという事件です。⼼臓病の患者さんはとらなくても良い肺の⼀部を切除され、肺がんの患者さんは取り換えなくても良い⼼臓の弁膜を⼈⼯弁に変えられてしまいます。間違いの出発点はルール違反にあります。病棟では⼀⼈の患者さんを⼀⼈の看護師が⼿術場に連れていく決まりでしたが、⼤学病院の⽉曜⽇の⼿術は⼤変多いためこのルールは守られることはなかったのです。
ところが、これより7 年前に熊本の病院でも同様の患者間違いの⼿術が⾏われており、さらに⼈違いの妊娠中絶などすでに患者間違いの医療事故が数多く発⽣していたにもかかわらず、有効な対策がおこなわれていなかったこともはっきりすることになります。
横浜市⼤の例で参考にしなければいけないのは守るのが困難なルールを作って処理をすることの危険性です。その後患者さん誤認防⽌の様々な取り組みが⾏われるようになります。
次に、おなじ1999年に東京都⽴広尾病院で、点滴留置のためのヘパリン⽣⾷と消毒薬を間違えて投与し、リウマチで⼿指の⼿術を⾏っただけの患者さんを失ってしまう事件が起きます。この当時は消毒薬も、薬物も全く同じ注射器を使⽤していました。今では消毒薬に使⽤する注射器は絶対に⾎管内には投与できない構造になっていますが、この⼀年後2000年には東海⼤学で⽜乳をやはり静脈注射して1 歳の乳児が死亡する事故が起きます。そしてこれ以前に薬物誤投与によるたくさんの事故があったこともあきらかとなります。
広尾病院でもう⼀つ問題となったのは間違いに気づいた看護師さんは、すべての注射器を⾃分で廃棄してしまっていた点です。間違いに気づいたときは、最初に情報をスタッフ全体で共有し、間違いが出来るだけ最悪な結果、つまり患者さんの死亡や重篤な障害を引き起こさないように最善の努⼒を開始することから対策を始めることが重要です。
最後の例は抗がん剤の誤投与です。18 歳の滑膜⾁腫という癌の治療のために埼⽟医科⼤学に⼊院していた⼥⼦⾼校⽣が抗がん剤の誤投与のために亡くなります。主治医であった研修医が⼀週間に⼀回投与すべき抗がん剤を毎⽇投与を繰り返し重篤な免疫不全を引き起こし亡くなります。
この事件では当初研修医を含めた医師団は事実を隠し薬剤の誤投与を明らかにせず事故を処理しようとしたことが⼤きな問題になります。また私が⼤変重要だと考えるのは、医師の間違いを指摘し正すべきであった薬剤師が全くこの抗がん剤の誤投与を⾒過ごしてしまった点です。薬物の専⾨家である薬剤師が研修医の間違った処⽅をただしていればこの事件は防げていたかもしれません。チーム医療の重要性が浮き彫りになった事件でした。
こうした事故の事例をみていくと、悪意ではなくても、医療の世界では医療技術の進歩とも相まって、常に患者さんを危険な状態に置く可能性と隣り合っていることがわかると思います。被害を受けるのは患者さん・家族ですが、それに関わった医療スタッフも⼤きな痛⼿を背負うことになります。

さて、この本「to err is human」が推測した被害の数字も残念ながら、あながち誇張ではないことが私⾃⾝実感できるようになりました。 ところで、⼈は誰でも間違えるというこの本のタイトルに引き続き、著者たちは「しかし、間違いを防ぐことはできる」と続けています。つまり、ヒューマンエラーを組織の取り組みで、システムで防ごうという考え⽅がリスクマネージメントの考え⽅です。インシデントのレベルで是⾮有効で確実な対策を考えてください。そのさいにインシデント事例を防ぐ対策は、出来るだけ単純で誰でも実⾏できるものにしていく努⼒が重要です。
患者さん、利⽤者さん、そしてスタッフを守るために、組織全体の安全⽂化を当たり前のものとして定着させていってほしいと思います。よろしくお願いします。以上です。

8月  前例踏襲主義からの脱却

今⽇は天神会のフィロソフィー⼿帳についてご紹介します。これはすべての天神会の職員が携帯する⼿帳です。天神会の理念は「⼈々の豊かな⽣涯を⽀援する医療・介護」だ、ということはこれまでご紹介してきました。この理念実現に向けて、1⽇から31⽇まで⽇にちをうって、フィロソフィーとその内容についての説明が記されています。すべて古賀理事⻑の経験や⼤事に思っておられる考えから構成されています。

今⽇はその中から、重要だと思う⼀つのフィロソフィーをご紹介します。
少し⾔葉としては難しいのですが、「前例踏襲主義からの脱却」というものです。内容を少し読んでみましょう。

「前例踏襲主義からの脱却」
過去の成功事例を積み重ね、ノウハウとしていくことは⼤変⼤事なことです。しかし、過去にうまくいったことのみを真似る、あるいは踏襲するだけでは、良くても過去の状態を維持することしかできません。(中略) 常に進化し続ける世の中においては、維持は退化と同じなのです。過去の体験を蓄積し次に向けて進化発展させるという考え⽅が必要なのです。(中略)ルールやマニュアルをはじめ、これまでの⽂化・考え⽅・普段の⾏動をゼロから⾒直す脱前例踏襲主義の⽂化を醸成していく必要があります。

「踏襲」とは、辞書によれば「先⼈のやり⽅や説をそのまま受け継ぐこと」となっています。それまでうまくいっていたやり⽅のわけですから、当然受け継いでいくことが正しいと判断しがちです。1950年代からの⾼度経済成⻑期以降も1990年ころまで⽇本社会は経済が右肩上がりに成⻑していく時代でした。こうした時代には必ずしも新しい取り組みを⾏うよりは、前例を踏襲する⽅が失敗せずに成果が得られる時代であったともいえると思います。しかし、外的なあるいは内部の環境の変化は常に起こっています。そしてその変化の速度はIT の進歩、世界のグローバル化によって加速されています。⽇本経済も低迷の時代が続いています。私は、古賀病院に⼊職する前は⼤学病院を含めほとんど公的な病院に勤務していました。それぞれ⼤蔵省、郵政省、労働省、厚⽣省が管轄していた病院です。それらの病院は今、ほとんど⺠間あるいは独⽴⾏政法⼈の病院に変わっています。1990年代ですが、私は労災病院に勤務していました。医療環境の変化にかなり危機感を感じていて、病院の⽬指す⽅向性を再度検討しなおす提案をしたのですが、同僚の医師たちは「⾃分たちみたいに真⾯⽬に誠実に医療に取り組んでいる病院がだめになるはずはないよ」と⾔われたのをよく覚えています。私は事情もあって他の病院に移ることになったのですが、それからおよそ10年後に、その病院は労災病院の組織からは外され⺠間の運営する病院になっています。

公的病院は2000 年ころまでは、組織からの補助⾦もあり、経営的に安定しているようにみられていました。補助⾦とはもとをただせば税⾦なわけですから、組織が存在する公的な⽬的を失ったときにはその病院は⺠間へ移⾏せざるを得なくなったともいえます。

これは極端な例ですが、普段の仕事の中でもなにか新しい⼯夫をすることで、患者さんや利⽤者さんがもっと元気になる⼯夫は出来ないか、考えていくことが⼤変重要だと考えています。ただ新しいことをすれば良いとは考えませんが、いったん仕事の内容をゼロから⾒直し、考えていく習慣を⾝に着けてください。そして新しい⼯夫が実ったときには仕事の楽しさ、喜びはより⼤きなものになると確信しています。よろしくお願いします。以上です。

 

7月  「高齢者」医療・介護・福祉について

今⽇は個⼈的なお話をします。私の⺟親の話です。先⽉6 ⽉5 ⽇の早朝にこの世を去りました。

3⽉から⼀か⽉間、⻄3階病棟に⼊院させていただいてK師⻑さんはじめ看護・介護スタッフの皆さんには⼤変よくしていただきました。改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
仲敷院⻑には主治医になっていただいて本当に有難うございました。⼊院させていただいたときは、このまま丸⼭病院で最期を迎えることになるかもしれないと覚悟していたのですが、体調を改善することができ退院することが出来ました。
逆に検査の成績からは内科的には回復の⾒込みがないこともはっきり知ることが出来ました。⺟親は89 歳でこの世を去りましたが、昔の話ですので18 歳で結婚し、19 歳で兄、21 歳で私を産み、産後肺結核になり⼀年余り療養⽣活を送っています。⽣まれは⼤分市ですが⽗親が公務員でおそらく6回くらい引っ越しを経験し、荷造り上⼿でした。⽗親が10 数年前に他界し⼤分で独り暮らしとなります。私は当時湯布院の病院勤務でしたのでひと⽉に何回かは⼤分の実家を訪れていました。医師として恥ずかしい話ですが、認知症が進⾏していることに充分には気づいていませんでした。
今から思えば、会話中に話が次々と変わっていったり、⺟親の兄弟について被害妄想的な話がでたりと、明らかに初期症状が出現していたように思います。
8年前に不整脈から⼼不全をおこし⼤分の急性期病院に⼊院します。すると環境の変化に対応できず昼夜逆転、徘徊⾏動が出現します。その当時は兄が健在でしたので、様⼦を⾒るための同居⽣活を始めるのですが、明らかな認知症症状のため、独り暮らしは困難と判断されます。そこで私の友⼈の病院に⼊院させますが、ここでも徘徊⾏動が続き、⼀般病院では⼿に負えないということで、福岡の認知症病棟に転院します。
しかし、この病院の先⽣の適切な判断と処置で認知症の周辺症状は安定し、7年前から介護付きの有料⽼⼈ホームへ⼊居することが可能となりました。この頃は⼀緒にデパートへ買い物に出ることが出来るまで精神的にも安定します。しかしホームでの⽣活中に⼼不全から不整脈が顕著となり、ペースメーカーの植え込みを受けたり、転倒して圧迫⾻折をおこしたり、肺炎で⼊院したりと⼀年に何回も⼊院を繰り返すことになります。⼀般病院に⼊院すると、また認知症が顕在化します。そのため排泄はおむつやバルーン管理になり、転倒予防でベッド柵が強化され、全くの寝たきり状態となることを繰り返しました。このまま寝たきりとなり、病院で最後になるのでは何度も思いましたが、ADL が極端に低下していても再⼊所を認めてくださり施設へ戻ります。すると介護スタッフが時間を決めて排泄介助をしてくださり、訪問リハが導⼊され、通所リハにも参加し、徐々にではありますがADL は回復します。介助なしでシルバーカー歩⾏が可能となり、毎週末⾯会に訪れると機嫌よく会話をしたり、おやつを⼀緒に⾷べたりと、⼊院中とは⾒違えるほど元気になっていくことを、これもまた繰り返しました。

ここで皆さんにお伝えしたいことが⼆つあります。⼀つは看護・介護・リハが協同して同じ⽅向を向いて取り組みを⾏うことで、⾼齢者の⽣活の質を劇的に向上させることが出来るということです。
皆さんは普段の仕事の経験から当たり前と思われる⽅も多いかもしれませんが、私は改めて⺟親を通じて実感することが出来ました。⼆つ⽬は⾼齢者という呼び⽅の問題です。2000年頃までは⽇本は⻑寿社会と呼ばれ、⻑⽣きすることが出来るようになった社会を誇っていました。⾼齢化社会は⽇本社会の成熟が⽣んだ財産と思いますが、少⼦化の進⾏のためこれを⽀える若者が減少し、⻑⽣きすることがはばかられるようになってきているのではと感じます。しかし、⺟親と同じ80歳代のお年寄りはすべて⽇本の戦争と敗戦、戦後の混乱、⾼度経済成⻑の嵐とその後の20 年間の経済停滞の時代を経験し、病や障害を乗り越えてきたからこそ、皆さんの⽬の前にいます。いきなり⾼齢者になったわけではありません。今の皆さんと同じ年齢をすべて経験して皆さんの⽬の前にいます。
そのことを忘れないでご⾼齢の⽅に接してください。彼⼥や彼らの⼈⽣の最後の時間を少しでも充実してそして元気に過ごしていただけるよう、みんなで努⼒していきましょう。よろしくお願いします。以上です。

6月  「人生方程式」とは

今⽇は、今年度の天神会の⾏動⽬標についてご紹介したいと思います。
その内容は私⾃⾝も⼤変⼤切なものと考えているからです。天神会の⾏動⽬標、これは京セラの稲森会⻑のフィロソフィーに掲げられているものからの引⽤です。天神会は京セラ原価管理システムを導⼊し、フィロソフィー研修や様々なレベルの研修を計画的に実⾏しています。

⾏動⽬標に掲げられたフィロソフィーのタイトルは「⼈⽣⽅程式」です。
⼈⽣あるいは仕事の結果は考え⽅×熱意×能⼒の掛け算であるというものです。ここで重要な点は、能⼒は⼀番最後に来ているというところです。能⼒はあっても正しい⽅向に、あるいは熱意を持っていなければ成果は上がりません。また能⼒のある⼈が熱意をもって間違った考え⽅で仕事をすれば、多⼤な損失を招くかもしれません。
例えばヒットラーが典型的ですね。彼は極めて能⼒の⾼かった⼈だと思いますが、⾏った結果は悲惨なものでした。

正しい考え⽅とはひきつづき天神会の⽬標でこう述べられています。前向きで建設的で協調性に富み利他的な考え⽅を深めていくこと。この正しい考え⽅の理解を深め、⽇々実践し、よりよい医療介護の実現に全⼒を尽くしていきましょう、というのが今年度の天神会の⾏動⽬標です。この正しい考え⽅の中で私が特に強調したいのは協調性と利他的な考え⽅です。私のこれまでの経験では能⼒が⾼いと思っている⼈ほど利⼰的な⾃分中⼼の考え⽅になりがちです。能⼒が⾼い、あるいは頭が良いといってもその程度はきりがありません。本当に能⼒の⾼い⼈はさらに⾼みを⽬指す、努⼒と反省が出来る⼈だと思います。

正しい考え⽅をもとに、今年度の⽬標を改めて考えてください。このときに、そしてこれから先皆さんが課題の解決に向かっていくときに重要な点をもう⼀つお話ししたいと思います。課題や問題の解決策を考えるときに⼀番重要なことは状況分析です。課題が起こっている内的・外的な状況の分析を⼗分に⾏ってください。実は正しい状況分析は簡単ではありません。
向かっている課題についての経験や知識そして思考の深さが求められます。逆に状況分析が正しければ課題の解決策は⽐較的容易に明らかになってきます。思い付きのような解決策の繰り返しからは決して良い結果はうまれません。こうした点に注意して、今年度の⽬標をそれぞれ考えてみてください。よろしくお願いします。以上です。

5月  豊泉会今年度の目標

おはようございます。
本⽇はご承知の通り特別な⽇、元号の変わり⽬の⽇です。平成31年は令和元年となります。このことに関連したお話は先⽉4⽉の朝礼でお話ししましたから、今⽇は豊泉会の今年度の⽬標についてお話しします。

豊泉会の今年度の⾏動⽅針や⽬標、病院やそれぞれの施設の⽬標を設定しました。それぞれの部⾨は、それに従う形で昨年度の成績や活動状況を検討・反省して、部⾨の具体的⽬標と重点⽅針を決定していってください。

今年度の豊泉会の⾏動⽅針は、「【活動】の向上を⽬指す組織体制を整備する」としました。活動の向上とはICF 国際⽣活機能分類(Iはinternational Cはclassification F はfunction)の「活動」を意味しています。ICFについて簡単にご説明します。
ICF国際⽣活機能分類は2001年にWHOの総会で採択されましたが、その前⾝はICIDH というものでした。私がリハビリテーション医療に深くかかわるようになった時にはこのICIDHのモデルでした。 ICは⼀緒、国際分類です。次のIはimpairment 機能障害, Dはdisability 能⼒障害、 Hはhandicap 社会的不利、障害は残存しても社会資源などを利⽤して社会的不利を克服することが⽬標と設定されていました。脳卒中のために右⽚⿇痺という機能障害が残存しそのために歩⾏が障害され、そのために仕事が出来なくなるといった位置づけで私には⽐較的理解しやすい分類だったのですが、これらはすべて、障害や不利と⾔った否定的な考え⽅から個⼈をとらえているので、より積極的にそして環境の因⼦も重視してICFが考えられました。
ICFでは右⽚⿇痺は、あくもでも⾝体機能の⼀部としてとらえます。⿇痺が残存してもなんとか移動の能⼒を向上させる、つまり「活動」の向上です。そのことで最終的に各個⼈の社会参加の向上を⽬標として考えます。⻑嶋茂雄さんを例にしてみましょう。
脳梗塞の後遺症で右⽚⿇痺が⾼度で⼀時は⽣命予後も⼼配されました。右⽚⿇痺で右上肢は廃⽤⼿、歩⾏は何とか⾃⽴していますが構⾳障害も持続しています。野球選⼿としてスーパースターであった、そして話すことが⼤好きであった⻑嶋さんにしてみれば国際⽣活機能分類でいう【⾝体機能】の低下は⾼度に残っています。しかし、⻑期間の積極的なリハビリテーションを続け、「活動」を⾼めることによって、積極的にマスコミの舞台にも登場し、まさに社会参加の⾯では病前に劣らない「参加」を継続しておられます。社会参加とはそれぞれの個⼈の⼈⽣の⽬標と⾔い換えて良いと思います。こうした患者さん・利⽤者さんの⼈⽣における最終の⽬標、社会参加の向上を全職員が意識できるような組織を作っていきたいと考えています。
介護・福祉のスタッフ、病院ではリハスタッフはICFの「活動」の意味はある程度理解できていると思いますが、⼀般に医療従事者では知識のない⽅も多いと思います。その意味でわざと「活動」という⾔葉を使っています。このICFの考え⽅を組織として共有することができれば、介護・福祉と医療の連携が⼀層確実なものになると考えています。この⼀年をかけて、ICFの考え⽅に対する理解を深めていただきたいと思います。

最後にもう⼀度、部⾨の具体的⽬標と重点⽅針の決定をお願いします。出来れば具体的な数値⽬標を設定してください。そして来年の今頃にどの程度⽬標が達成できたかを反省し総括し、翌年度の⽬標を決定していきましょう。こうしたプロセスを⼤切にしていきたいと思います。今⽇はちょうど令和元年ですからこのプロセスの開始の年にしたいと思います。よろしくお願いいたします。

4月  今年は改元の年です

おはようございます。
今回は年度の変わり⽬、4⽉の朝礼ですが皆さんご存知のように、今年の年度替わりは特別の意味を持っています。5⽉から改元、元号が新しくなる年だからです。

改元については思い出深いものがあります。昭和から平成への改元は1988年ですが、実は私にとってはアメリカの留学から帰国した年に当たります。まさにバブル景気の真っただ中で、⽇本中が浮かれているようでびっくりした思い出があります。平成時代のとらえ⽅は様々でしょうが、「へいせい」とはうらはらに、1991年にはバブル景気は崩壊、1995年には阪神淡路⼤震災、2011年の東北⼤震災と思いもかけない予想も出来なかった⼤きな変化があり、決して“平静”ではなかったように思います。

さて、2 ⽉に理事⻑に就任したわけですが、古賀病院の外来の整理や⼤分で開催した学会の準備などが重なって、皆さんと充分に接触する機会も少なく申し訳なく思っていました。今⽉からは弥⽣の⾥の嘱託医として、また丸⼭病院の外来も本格的に開始します。

そこでもう⼀度初⼼に戻って、私なりに私たちの組織の理念「⼈間⼤切」を考えてみました。私たちは主にご⾼齢の患者さん、⼊所や通所の⽅たちの治療やお世話をさせていただいています。「⼈間⼤切」とはご⾼齢の⽅たちの⼈⽣の最後の時期をいかに「元気に」していくか、と⾔い換えたいと思います。病気の治療だけではなくて、リハや看護や介護を通じていかに元気になっていただくかを常に考えて患者さん利⽤者さんと接してください。意識のはっきりしない、経管栄養の患者さんにも⼈間⼤切を忘れないでください。⼈⽣の最後を出来る限りの⽀援をしていきましょう。もう⼀つの「⼈間⼤切」は⼀緒の職場で働く皆さん、スタッフを⼤切にするということだと思っています。皆さんが元気でなければご⾼齢や障害を持った患者さん、利⽤者さんを元気には出来ません。働く環境の改善や⼈間関係の調整など、出来るだけ速やかに皆さんをさらに⼤切にする組織作りに努⼒していきます。
よろしくお願いします。